大円寺 目黒区下目黒1-8
目黒駅を出て西に歩き、行人坂を下ると坂の途中の左手に大円寺の山門がある。
その境内の北東側斜面におびただしい数の石仏が並んでいた。大きな釈迦如来像
天明元年(1781)左右に文殊菩薩、普賢菩薩を従え、さらに十大弟子と十六羅漢が
囲む。背後には491基の羅漢像が並んでいる。
整然と並ぶ羅漢像。壮観である。一体一体個性があり、見ていても飽きない。
羅漢像の中、一角に「とろけ地蔵尊」が立っていた。江戸時代、品川の海で
漁師の網にかかったものだという。なるほど、表面は確かにとろけている。
五百羅漢の逆側、山門の右の塀の前に三基の庚申塔が並んでいた。
左 庚申塔
寛文7(1667)「為奉供養庚申塔二世安樂」三頭身の三猿がかわいい。
三猿の下に講中十数名の名前を刻む。
中 庚申塔
貞享元年(1684)笠付角柱型。中央を彫り窪め、外に日月雲。中に梵字。
続いて「奉供養青面金剛」下部に三猿。その下に数名の名前が刻まれる。
右 庚申塔
寛文8(1668)中央に「奉供養庚申二世安樂祈所」下にはやはり三猿。
こちらも三猿の下に講中十数名の名前が刻まれていた。
田道庚申塔 目黒区目黒2-13
目黒区民センターの西のうねった道の途中、田道町会事務所の隣に石仏が並ぶ。
左から六基の庚申塔が続く。1番目 庚申塔
正徳3(1713)日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。足元両脇に二鶏。下に三猿。三猿の下に講中10人の名前を刻む。
ここの六基は三猿の下に(人数はそれぞれだが)講中の氏名が刻まれている。
日月雲、青面金剛は力強い。六臂の持ち物はノーマル。二鶏をしっかりと彫る。
2番目 庚申塔 元禄5(1692)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。光背の上部を欠く。
邪鬼・二鶏は見えず、三猿のみ。講中6名。
光背右に「奉供養庚申塔」左脇に年号。青面金剛は丸顔で独特なヘアースタイル。
3番目 庚申塔 元禄8(1695)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。二鶏・三猿を彫る。
全体に丸みのある像。足の脇の二鶏が大きく丁寧に彫られているのが印象的。
4番目 庚申塔 延宝8(1680)日月雲
青面金剛立像 剣・羂索持ち六臂。
足の脇に二鶏、足元に邪鬼、さらに三猿と続く。
六臂のうち前の手の左手に羂索というのが珍しい。二鶏はやはり大きめ。
5番目 庚申塔 元禄8(1695)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。二鶏、三猿。
青面金剛は厳しく気高い顔をしている。光背右「奉庚申供養」二鶏は大型。
6番目 庚申塔 延宝5(1677)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。下部は三猿のみ。
頭部に蛇の頭。後の手の法輪と矛が普通?と逆になっている。
最後に地蔵菩薩立像
延宝元年(1673)光背上部、梵字の脇に念佛供養と刻まれる。
別所坂上庚申塔 中目黒1-1
駒沢通りから目黒学院高校の脇を通って急な坂を上りつめたところ、曲がり角に
六基の庚申塔が祀られていた。恵比寿駅から西に向かい、恵比寿南交差点で斜め
左に折れて歩くと、この坂の上に出るので急な坂を上らなくて済む。
前列左 庚申塔 享保元年(1716)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。光背左に年号。
右に「奉納庚申供養」足元両脇に大きな二鶏が彫られている。足の下には三猿。
その下に結衆15人の名前が刻まれていた。
前列中 板碑型の石塔
延宝8(1680)正面に「奉供養南無帝釈天王」右に武州荏原郡
中目黒村。下部には多くの名前が刻まれる。これも庚申塔なのだろうか?
前列右 庚申塔 元禄元年(1688)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。光背右に
大きく「庚申」足元には三猿のみ。その下に6名の名前を刻む。
後列左 庚申塔 元禄7年(1694)梵字の下
日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
足元に三猿。その右脇に「奉庚申待供養結主為二世安樂」左脇に年号。さらに
三猿の下、左に結衆拾人、続いて名前が刻まれている。
後列中 庚申塔 日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。明和元年(1764)と思われる。
細部まで丁寧な彫りで、躍動感がある。
足元の両脇に二鶏。左の雄鶏は歩き出している。足元には正面向きで肘を張った
邪鬼が彫られ、その下の三猿は両脇の猿が背を向けて座っている。なかなかに
凝った仕事だ。三猿の下に人の名前が刻まれるがあまりはっきりしない。
後列右 板碑型の石塔
寛文5(1665)中央に「南無妙法蓮華経」脇に奉開眼供養?
歸命帝釈天王、その下には20人ほどの名前が刻まれている。これも庚申塔か?
けこぼ坂庚申塔 上目黒2-10
駒沢通り、目黒区役所の少し東の歩道沿いに庚申塔が立っていた。
庚申塔 元禄8(1695)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。下部には三猿のみ。
経年のため、表面は溶けかかっていてはっきりしない。
天祖神社庚申塔 上目黒2-29
駒沢通り沿い、天祖神社の境内左に立つ小堂の中に二基の庚申塔が並んでいた。
左 庚申塔 宝永5(1708)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。足元に三猿を彫る。
右脇に「奉待庚申青面金剛」左に年号。
三猿の下の部分に庚申講中とあり9人の名前が刻まれている。
右 庚申塔 享保元年(1716)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。足の両脇に二鶏。
足元には三猿。さらにその下に7名の名前を刻む。光背右に「奉納庚申供養」
塔の右側面「是より末町さき四辻、大道九品仏道、右せたかい道、左へふとう道」
それぞれ九品仏、世田谷、目黒不動へ向かう道を示している。
寿福寺門前の庚申塔 上目黒5-16
寿福寺の山門前に四基の石仏が並ぶ。それぞれに美しい花が供えられていた。
右から 地蔵菩薩立像
明和2(1765)台の正面に「奉造立地蔵尊」脇に勧化講中。
隣に地蔵菩薩坐像
宝暦9(1759)風化が進み、像ははっきりしない。
金剛界大日如来坐像
天保5(1834)台の正面に南無阿弥陀佛と彫られているが、
像は智拳印を結んでいるように見えるので大日如来ではないかと思われる。
台の側面に再建主とあり、子歳女、寅年女と刻まれていた。
左 庚申塔 寛文6(1666)舟形光背
六臂。立派な光背を持つが日月、邪鬼、二鶏
三猿、いずれも見当たらない。彫りは細かく丁寧な仕事だ。
六本の手の持物が珍しい組み合わせ。上左手は法具だろうか?上右手はかんざし?
下左手には索。下右手は蛇。前右手に剣、左手に法輪。弓矢は見られない。
宿山(しゅくやま)の庚申塔 上目黒5-5
寿福寺の前の道を東に歩くと、交差点の右角に数基の石仏が並んでいる。
右から聖観世音菩薩立像
元禄3(1690)光背左に結衆敬白。台に数名の名前を刻む。
隣 庚申塔 元禄5(1692)日月
青面金剛立像合掌型六臂。足の下に聞か猿を彫り
その脇に二鶏。猿の下に十数名の名前が刻まれている。
塔の右側面「奉尊躰庚申供養二世為安樂也」その脇に結衆とある。下部に見猿。
その下にやはり十数名の名前を刻む。塔の左側面は空間が狭く写真は撮れないが
年号と下部に言わ猿が彫られていて、三面合わせて三猿となる。
左 庚申塔
延宝3(1675)地蔵菩薩立像。光背右「奉造立庚申供養為二世安樂也」
下の丸い台には施主として十数名の名前が刻まれていた。
一番左 庚申塔 宝永5(1708)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。光背左に年号。
右に「奉造立庚申供養為二世安樂也」続いて脇に施主と刻む。
ちょうど青面金剛の足のあたりから一部崩れている。向かって左に見えるのは
邪鬼のお尻?三猿も真ん中の聞か猿がかなり損傷している。三猿の両脇に二鶏。
下の部分には施主名が刻まれているようだが、これも真ん中は読み取れない。
五本木庚申塔 五本木2-20
祐天寺駅の南、駒沢通り近くにある守谷図書館の裏の路地、塚上に石仏が並ぶ。
入口右 念佛供養塔
元禄2(1689)笠付角柱 塔の四面に「南無阿弥陀佛」と彫る。
下部にはそれぞれ施主と思われる数名の名前が刻まれていた。
小堂の中に5基の石仏。右から地蔵菩薩立像
元禄年間 光背上に日月雲を彫る。
右脇に「奉造立・・・風化のためにその先は読み取れない。
隣 板駒型の立派な庚申塔
造立年不明。彫りは細かくはっきりしていて力強い。
上から日月雲
その下に「奉納庚申供養」青面金剛立像 剣ショケラ持ち八臂。
八臂というのは珍しい。それぞれの手に矛・法輪・弓・矢・鈴・索を持つ。
足元に獅子のような邪鬼。脇にしっかりとした二鶏。その下に三猿を彫る。
なかなか豪華な構成といえよう。三猿の下、施主名と十一月という字も見える。
あるいはこのあたりに紀年銘も刻まれているのかもしれないが確認できなかった。
中 庚申塔
こちらも紀年銘は確認できない。日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
第3手はかなり彫りが薄い。足元には三猿のみ。その下に施主名が刻まれる。
左から2番目 庚申塔
貞享3(1686)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。年代の割に
彫りははっきりしている。下部に三猿。こちらも三猿の下に施主名を刻む。
左 庚申塔 元禄8(1695)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。彫りは丁寧な印象。
下部には大型の三猿を彫る。やはり三猿の下に施主名が見られる。
小堂の奥の草むらの中 庚申塔
文化7(1810)角柱 正面に「庚申供養塔」脇に年号。
その下に上目黒五本木組。右側面には8名の名前が刻まれていた。
さわら庚申と道標 中町2-38
駒沢通り祐天寺二丁目交差点。五差路の一角の小堂の中に三基の庚申塔が並ぶ。
右 庚申塔
寛文3(1663)中央に「南無妙法蓮華経」脇に「献開眼帰命帝釈天王」
左脇に年号。さらに8名の名前が見える。その下には蓮の花を彫る。
中 庚申塔 元禄5(1692)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。三猿の下に7名の名前。
左 庚申塔 元禄10(1697)日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。上部を欠いている。
邪鬼も二鶏も三猿も見られない。下部には7人の名前が刻まれていた。
小堂の欄間に見事な三猿が彫られていた。いつ頃の作品だろうか?
小堂の右手前に角柱型の道標が立っている。正面
おく沢、ひもんや、いけかみ道。
右側面に 右 ごほん木 ふたご道。左側面に
右 あさふ あを山 道。昔から交通の
要衝だったらしい。裏面に○政五年とある。寛政(1793)文政(1822)安政(1858)の
いずれかと思われる。
大鳥神社 目黒区下目黒3-1
山手通りと目黒通りの交差点の南西の角に大鳥神社がある。大同元年(806)に
社殿が造営されたという古社であり、目黒総鎮守とされる。
拝殿の左、石仏が並んでいた。左から3番目と右から3基の石塔が庚申塔。
右から 庚申塔
元禄元年(1688)唐破風付角柱 日月 青面金剛立像 合掌型六臂。
足元に三猿。その下に施主8名の名前を刻む。
隣 庚申塔
宝永元年(1704)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元に三猿を彫る。
三猿の下に施主11名の名前。光背右「奉納青面金剛一体」講中
目黒村。光背左
年号に続いて、同行十一人と刻む。
3番目 庚申塔
元禄元年(1688)重厚な唐破風付角柱 日月雲 青面金剛立像
剣・ショケラ持ち六臂。足元に三猿。その下には大聖院と刻まれている。
大聖院は大鳥神社の隣にあり、もと別当であったらしい。
左から3番目
庚申塔 延宝3(1675)中央に「奉納庚申供養二世安楽祈所」とある。
下部に三猿。三猿の下に施主としていくつかの名前が見えるがよく読めない。
ここでは三猿のみで、邪鬼、二鶏は見られなかった。四基とも1675年~1704年、
江戸前期の庚申塔。年代的な特徴か、地域的な特徴か、どうなのだろう?
めぐろ歴史資料館 目黒区中目黒3-6
山手通りから少し西に入ったあたりにめぐろ歴史資料館がある。門を入って
すぐ左の植え込みの中に石塔が並んでいた。屋外展示場ということらしい。
一番手前 道標
寛政11(1799)正面に「長せん院道」と彫られている。長泉院は
馬喰坂の北にある浄土宗の寺院。前面の一部にはいくつか穴が穿たれていた。
道標
造立年不明 正面 右 九品仏道。四面ともに多くの人名が刻まれている。
庚申塔
寛政11(1799)山型角柱、正面上部を彫り窪めた中に青面金剛立像を彫る。
合掌型六臂。足元は邪鬼だろうか?その下に 北
ふりの内 あ巳志ま 道と刻む。
右側面には 西
せたヶ谷 道。下部に上目黒宿山組6人の名前が刻まれていた。
左側面に 東
江戸 あさふ 道。裏面には 南 目くろ ゆうてん寺 道と刻む。
さらに道標などが並んでいた。当時のこの付近の交通の多さがうかがわれる。
ひいらぎ庚申 目黒区目黒2-3
資料館をあとにして山手通りを南に歩く。田道交差点で左に曲がり、目黒川に
かかる田道橋のたもとに出ると、マンションの外に赤い小堂が立っていた。
庚申塔
安永4(1775)正面に「奉納庚申塔」その下に願主9名の名前が刻む。
塔の左側面 志んてら
ゆふてん寺道 右側面 こんひら ふとう尊 みち。
ばくろ坂上庚申塔群
山手通りまで戻って田道交差点から今度は西に向かうと急な登り坂、馬喰坂。
上りきった十字路の左、高い所に四基の庚申塔が並んでいる。
藤の庚申 目黒区中目黒5-6
馬喰坂の北西、なべころ坂緑地公園の角、藤棚の下に二基の庚申塔が並ぶ。
左 庚申塔
貞享元年(1684)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元に三猿。
その下に十名ほどの名前を刻む。右脇に「庚申講中為兩親二世安樂也」
右 庚申塔
元禄元年(1688)中央に「南無青面金鋼」解説板によるとその下部に
「申ノ形」という文字が縦に三行刻まれていて三猿を文字で表したとあったが
残念ながらうまく読み取れなかった。
とちの木庚申 目黒区目黒4-2
なべころ坂緑地公園から南に歩きT字路を左折すると五差路に出る。
その角の電話ボックスの脇に庚申塔が立っていた。
庚申塔
寛政10(1798)そばを流れていた川から掘り出されたものだという。
保存状態が良くないので字は読みにくいが、正面は「庚申」だろうか。
塔の右側面
中目黒村田道とあり数名の名前を刻む。左側面には年号。
さらにその下にも数名の名前が刻まれていた。
目黒不動尊(瀧泉寺) 目黒区下目黒3-20-26
大きな寺標の先に立派な仁王門。狛犬も控えている。
境内に入り、正面の男坂の下、左脇に独鈷の滝。水かけ不動明王が祀られている。
池の向こう、遠く対岸?にたくさんの石仏が並んでいた。
池の西岸、庚申塔
貞享3(1686)正面に青面金剛と三猿が見える。左側面には
何も見えない。右側面は回りこむ方法がなく確認できなかった。
中央部 日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。左上手に法輪のかわりに索か蛇?
右脇「奉寄進庚申供養為二世安樂立之者也」と刻まれている。
下部には素朴な三猿のみを彫る。邪鬼・二鶏は見当たらない。
池の北岸の最前部にも板碑型の庚申塔が立っていた。
庚申塔
寛文12(1672)青面金剛立像 六臂。両手に日月を持っている。下部には
大きめな三猿を彫る。脇には年号。江戸初期の庚申塔らしい雰囲気を持っている。
さらにその奥にも似たような板碑型の庚申塔が立っていた。
庚申塔
寛文12(1672)青面金剛立像 六臂。下の庚申塔の青面金剛とよく似ている。
やはり両手に日月を持つ。こちらは下部に二鶏が彫られていた。
成就院 黒区下目黒3-11-11
目黒不動尊のすぐ南にある通称「たこ薬師」成就院。境内に入ると正面に7体の
石仏が並んでいた。説明板によると、徳川二代将軍秀忠公の側室 お静の方の
発願で奉納されたものだという。7体の石仏の光背、台などに銘は見当たらないが
説明板の通りだとすると江戸時代初期の作品ということになる。
右から准胝観音菩薩
聖観音菩薩
十一面観音菩薩
阿弥陀如来
金剛願地蔵菩薩
金剛幢地蔵菩薩
金剛宝地蔵菩薩
境内に入ってすぐ右の一角にも大きなお地蔵様など多くの石塔が並んでいる。
左から二番目 庚申塔
元禄9(1696)梵字の下 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
上部両脇に年号。下部両脇「庚申待供養所」小さな邪鬼と大きな三猿を彫る。
安養院 品川区西五反田4-12-1
目黒不動尊のすぐ南、東西に伸びる目黒不動商店街の通り沿いに安養院の
入り口がある。長い参道の先にモダンな本堂の姿が見える。
参道の両側の植え込みの中には地蔵菩薩像、聖観音菩薩像、如意輪観音像など
実に様々な石像が立っているが、多くは個人の供養塔だった。
左側の中程、木の陰に阿弥陀如来立像
延宝3(1675)舟形光背 が立っていた。
光背には為無縁諸精霊と刻まれている。
蓮台の正面に年号があり、その下の台の正面に念佛講中と刻まれていた。
その周りに6名の名前が見られるが、大工のほか大宮屋、江戸屋などとあり、
門前町として栄えていたこの町の大店の旦那衆が寄進したものだろうか。
さらに進むと階段の前、両脇に3m近い大きな一対の狛犬?中国清代のもので、
宝獅子というものらしい。
左
子獅子を従えている。このあたりは日本の狛犬と変わらないがすごい迫力だ。
右
宝珠を持つ。よく見ると左右で阿吽の形というわけではないので、これは
やはり中国のものだろうか。それでも異形の狛犬と言ったほうがしっくりくる。
階段の先にさらに参道が続くが、こちらも両側に様々な石仏が並んでいる。
右側の中程、光背に講中と刻まれた如意輪観音坐像
元文2(1737)があった。
参道の左側、塀の前に大きめな石仏が並んでいた。塀の後は墓地になっている。
地蔵菩薩立像 舟形光背
光背に文字は見あたらない。足の下の部分に赤い文字で
安産地蔵と刻まれていた。
続いて二体の地蔵菩薩坐像。左は腰立地蔵、右は開眼地蔵と刻まれている。
こちらも年代などはわからない。
その先の角のところ、たくさんの石仏のなかには二体の観音様が立っていた。
参道の右側の塀の前、こちらもたくさんの石仏が立っているが、右の石塔は
子育て地蔵尊
昭和9(1932)個人が奉納したもののようだ。
左の石塔は正面上部に三面六臂の馬頭観音坐像が彫られ、その下に「無縁法界」
右側面中央には「奉順禮西國秩父坂東供養塔」脇にに寛政元年(1789)の銘を刻む。
また階段を登った先に山門が立っている。その手前左に二基の石塔が見える。
左側に 廻國供養塔
元禄17(1704)正面「奉納日本廻國妙典六十六部成就所」
右側面に願文20文字、左側面に年号が刻まれていた。
山門を入り右、竹垣の前に庚申塔
青面金剛立像 剣・ショケラ持六臂。年代不明。
三眼の青面金剛は合掌するショケラを吊るし邪鬼を踏む。全体に細かくはっきり
した彫りだが、光背の一部が欠け、三猿も下の石に埋もれているようだ。
その先には観音堂が立っている。このあたりはやや雑然とした印象を受ける。
このエリアにも阿弥陀如来像、聖観音像、地蔵菩薩像、不動明王像など
多種多様な石仏が立ち並んでいた。
赤いちゃんちゃんこを着た猿の像や羅漢像なども見られた。
観音堂のすぐ脇に大きな念仏供養塔
延宝3(1675)が立っていた。正面に大きく
「南無阿弥陀佛」と刻まれている。左側面
偈文とともに「庚申講中」という
文字があり、庚申講中によって建立されたものだという。
その先に墓地がある。墓地は左右に分かれているが、右側の入り口付近に
三界萬霊塔
万治2(1659)板碑型で上部に地蔵菩薩立像を彫り、その脇には
「三界萬霊六親眷属」と刻まれる。下部には二体の僧形の坐像が彫られる。
二体の間に見える文字は僧名だろう。右脇には年号が刻まれていた。
右側の墓地の最奥部に竹垣で一般の墓地と隔てて、大型の石仏が集められた
エリアがあった。歴代住職の墓石も見られるが、一番奥はまた違った感じの
石仏ゾーンになっている。
中央に五輪塔があり、その周りを四体の丸彫の観音様、二体の舟形光背の
観音様が中央の五輪塔を守るような形で立っていた。なかに貞享2(1685)、
延宝6(1678)などの銘が見られる。
五輪塔
延宝7(1679)芸州藩主浅野綱晟の室 八代姫を祀ったものだという。
下部の方形の部分の正面に稱専院殿心誉誓空大姉尊儀と刻まれていた。
やはり周りの観音様はお姫様をお守りする侍女たちの墓石なのだろう。