蕨市北町の石仏

三学院 蕨市北町3-2-4

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旧中山道の三学院入口付近に石塔が立っていた。宿場町として栄えた町らしく
いろいろなところに史跡案内図、解説板などが設けられている。

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山門手前右手に二基の大型の石塔が並んでいる。午前中に訪れるとどうしても
逆光になってしまい、なかなかクリアな写真が撮れない。

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右 鋪石供養塔 文久3(1863)鋪石供養塔というのは、さいたま市西区の高城寺の
山門近くで見かけたのが最初だったが、鋪=舗の旧字で「敷く」という意味、
敷石供養塔と同じということのようだ。

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塔の左側面には塚越村から小谷場村まで近隣の12の村の名前が刻まれ、その下に
大きく檀中と彫られている。さらに最後に蕨上下郷中と刻む。

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右側面下部に大きな文字で蕨宿中と彫られていた。また、下の台の側面には
多数の名前が刻まれている。

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左 馬頭観音塔 寛政12(1800)正面の梵寺は「南無馬頭観世音」と読むらしい。

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塔の左側面に足立・坂東 第二拾番 三學院。観音霊場であることを示している。

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右側面 右脇に薄い彫りで年号。続いて當所馬持中。左下に太い彫りで「講中」

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台の正面には1頭の馬の姿が生き生きと彫られていた。

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山門を入り参道を進む。正面に仁王門、さらに左手に三重塔、その奥に大きな
本堂が見える。参道の右側に地蔵堂が立っていた。この堂の付近はいつ行っても
脇のベンチでくつろいでいる人たちがいて、お地蔵様に参拝する人も多い。

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入口から 地蔵菩薩立像 万治元年(1658)通称「目疾地蔵」目に味噌を塗り付けて
お祈りすると目の病気が治るということらしい。ここも何回か訪ねたが、素顔を
拝見できることは少なかった。なかなか美しいお地蔵様。錫杖の柄の一部を欠く。
光背の文字は薄く、ゆっくりと字を確認したいのだが周りの人たちが気になって
思うにまかせない。

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入口にあった蕨市教育委員会の解説板。

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その隣 六地蔵菩薩立像。こちらも非常にきれいな状態を保っている。

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一番奥に大きな地蔵菩薩立像。堂の構造上、後ろが明るく堂の中が比較的暗いため
顔の表情がきちんと写らない。腕の問題もあるのだろうが・・・

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堂の入り口近くに常夜灯 元禄14(1701)が立っていた。円筒形の竿部にかすかに
文字が見えるがこれもうまく読み取れなかった。再チャレンジしてみたい。


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参道を進むと正面に仁王門。西のほうには長屋門もある。

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仁王門の右手、涅槃門を入って塀の外を回ると奥には大きな墓地がひろがる。
その入口付近、塀の前に石塔が並んでいた。

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一番左に庚申塔 貞享元年(1684)古い板碑型庚申塔。上部に破損が見られる。

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日月の間に「庚申供養支提」右脇に年号。左脇に武州蕨上宿衆 敬白と刻む。
下部に三猿を彫るが顔が大きめで猿らしくない。三猿の下には十数名の名前。

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四番目に庚申塔 明和6(1769)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
大きな唐破風笠を持つ。下の台の正面に三猿が彫られていた。

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像全体に風化が見られ彫りははっきりしない。頭の上では蛇がとぐろを巻く。
膝の辺りで石の色が変わっているがなぜだろう?ちょっと不思議だ。

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足元には猿のような顔をした邪鬼。二鶏の姿は見当たらない。

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塔の右側面に年号。左側面、下部に願主 個人名を刻む。下の台の両側面に
小さな字が並んでいる。端のほうには講中と刻まれているので人名だろうか。

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仁王門をくぐると正面に雄大なスケールの本堂。境内は手入れが行き届いている。
本堂の右脇に立っている弘法大師立像も本堂に合わせて巨大だった。

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本堂の左には三重塔。大寺院らしい風格を感じさせる。
 
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本堂の右手に新しい阿弥陀堂。その裏に多数の宝篋印塔が並んでいた。

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手前のほうに何段にも基礎を重ねた上に鏡型の塔身を持つ石塔が立っている。

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木食観正塔 文政4(1821)塔身には大日如来の梵字「ア」蓮台に2頭の狛犬を彫る。
基礎の正面を彫りくぼめた中に「木食観正」と刻まれていた。

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二段になった基礎の台の両側面には多くの人たちの名前と村名が刻まれている。
解説板によると蕨宿など3宿27ヶ村297人の人たちによって造立されたという。
右側面の一番奥には蕨宿の石工の名前が刻まれていた。自信作なのだろう。

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たくさんの宝篋印塔が並ぶが、蕨市指定文化財になっているのは二基。こちらは
宝篋印塔 寛政9(1797)大きな基壇の上に立つ。塔身に梵字で金剛界四仏を表し、
基礎には造立銘や経文などが刻まれていた。

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その下の台には凝った彫りが施され、各側面に唐獅子が刻まれている。また、
後ろの面の端のほうに 江戸霊岸嶋 新川の石工の名前が見られた。

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奥のほうに宝篋印塔 宝永2(1705)解説では全高3.9mということだが相輪が大きく
それほど高くは感じられない。早い時期のものなので外反した隅飾を持っている。

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塔身にやはり梵字で金剛界四仏を表し、基礎の各側面には銘文が刻まれていた。
右側面の銘文の中に造塔石工 江戸浅草平右衛門町 平野吉郎兵衛と見える。

 

私立病院西路傍 蕨市北町2-18

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三学院を出て東に歩くとT字路に突き当たり、ここを左折するとすぐ左手路傍に
小堂が立っていた。道路を挟んで筋向かいには私立病院がある。

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庚申塔 上部が欠けている。日月雲。中央に「(奉)建庚申支提」その下に存在感の
ある三猿を彫る。三学院の貞享元年の庚申塔と同じく、三猿付の文字塔というより
三猿を主尊とする庚申塔というほうがしっくりする。両脇に造立年月日を刻む。