飯倉家庚申塔 蕨市南町4-5 下蕨公民館のすぐ東の交差点の北東角にある住宅の庭園の中、ブロック塀の 裏のあたりに立派な庚申塔が立っていた。 庚申塔 寛政4(1792)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。彫りは細かく 全体のバランスもよく美しい。頭上に蛇、三眼の青面金剛、足の両脇に二鶏。 足元の邪鬼は大型でコミカルな表情を見せ、三猿は額のしわまで表現されている。 塔全体の状態もよく、よっぽど大事にお世話されてきたものなのだろう。 塔の右側面に年号。左側面には 右ハぜんかうじ道と刻まれていた。 台の右側面に講中二十一人 願主 個人名。台の正面 右には四行に分けて28文字の 銘文が刻まれ、その左脇には 右 ぜんこうじ道。二ヶ所に刻むのはあまり見ない。 脇に立つ蕨市教育委員会の解説板。銘文の意味などがわかりやすく大変親切だ。 亥子角(いねずみ)堂墓地 蕨市南町3-27 JR京浜東北線の線路沿い、蕨第一中学校あたりから西川口方面に歩くと、 角のところに亥子角堂の墓地がある。その塀の中に庚申塔が立っていた。 庚申塔 元禄14(1701)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足の両脇に二鶏を彫る。 足元には邪鬼が見えるがあまりはっきりせず存在感が薄い。光背右には年号。 左に武州足立郡戸田領塚越村講衆と刻まれている。「塚越」は現在ではJRの 京浜東北線の東の地域の町名になっているが、現在の中央、南町などの地域は 昭和の時代まで大字塚越と称していたようで、江戸時代には塚越村は相当大きな 村であったらしい。 下部には正面向きの三猿。その下に十数名の名前が刻まれていた。